Shono Mercy Museum

カントリーミュージック(1920年代編)


ブルースと違い、カントリーミュージックは耳にしたことある方も多いはず。

カントリーミュージックは第二次世界大戦以前はヒルビリー(Hillbilly)と言われていた。
その後、差別的な意味合いが強いとされたため、1949年にはヒルビリーという名前が使われなくなる。 よってここでは第二次世界大戦以前のカントリーミュージックはヒルビリーと定義する。

そもそもヒルビリー音楽はアイルランド移民がもたらしたアイルランド音楽、アパラチア山脈からの音楽、スペインからのバケロ、ドイツからのポルカ、
労働歌やバラードなどから影響を受けてできた音楽だ。

そして最初にヒルビリーミュージックがアメリカに現れたのは1920年代初めごろからだ。
最初のヒルビリー(カントリー)として商標化されたのが1924年4月にリリースされたEck Robertson(エック・ロバートソン)のArkansas TravelerとSallie Goodenである。
どちらボーカルなしのフィドルがメインの曲である。



この時はまだヒルビリー、カントリーというよりもアメリカの民謡音楽色の方が近い気がする。
まだボーカルが入ったものはレコーディングされていなかった。

次にヒルビリーのジャンルで最初のヒットとなったのはVernon Dalhart(ヴァーノン・ダルハート)の1924年5月に発売されたWreck of the Old 97である

この歌は1903年に起きた汽車の脱線事故について歌っており、多くのアメリカ国民にとって馴染みの深い鉄道歌である。 音楽的には、このギターのふわりとするリズムがヒルビリーと言えると思う。
最初に紹介した2つの歌よりもだいぶカントリー色は強いように思う。
またのちにジョニーキャッシュにもカバーされており、そちらのバージョンの方がよく知られているかもしれない。
後で説明するがこのギターのリズムはカーターファミリーのカータースクラッチにも影響を与えただろう


1920年代ヒルビリー界の2大スター
ヒルビリーが出来た1920年代の大スター的な存在を挙げるとしたら、Carter Family(カーターファミリー)とJimmie Rodgers(ジミーロジャース)だろう。
どちらもこの音楽ジャンルを語るにおいて外せない存在だ。

Carter Family(カーターファミリー)
ここでの紹介は初期(1927-1956年)Original Cater Familyのこととする
家族で活動していたグループでメンバーはA.P Carter (APカーター), Sara Carter(サラ・カーター), Maybelle Carter(メイベル・カーター)。
ヒルビリー音楽の創始者たちとも紹介される彼らは、全米を飛び回り、既存の地方民謡を当時の新しいヒルビリー風にする活動をしていた。
このグループを代表するカータースクラッチ(ギター、オートハープのピッキングスタイル)は以後のミュージシャンに多くの影響を与えた発明だ。
以下の動画は彼らを代表する1曲だが、カータースクラッチにも注目していただきたい。


Jimmie Rodgers(ジミーロジャース)
カーターファミリーと同時期に活躍し、後にカントリーの父と呼ばれるようになった彼は既存の曲に頼らず、自分で作曲し活動していたミュージシャン。
ヨーデル、黒人音楽、労働歌などを巧みに取り入れており、革新的なオリジナルの音楽スタイルを作っていた。


この動画の服装は鉄道作業員なのだが、彼が音楽で成功する以前は鉄道作業員として働いていた。
人気が出た要因の一つに彼の親しみやすさも理由の一つに挙げられるだろう。


以上で1920年代のヒルビリー音楽の紹介を終わりにする。
次回は1930年代のヒルビリーの解説、紹介をしようと思うのでよろしくお願いします。

2021年6月27日

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