Shono Mercy Museum

(前編)Drew Hillによる元デトロイトウィールズJim MaCcartyインタビュー


Drew'sBlues Newsインタビュー
(この記事は2020年7,8月号のDrew Hillが担当している記事になります。元デトロイトモーターウィールズのJim MaCcartyとのインタビューです)


-前置き-
デトロイトの街で育った私たちは、この神聖な町の出身であることに誇りを持っています。
外者(この町出身ではないもの)にとって、これは単なるデトロイトですが、私たちにとっては、私たちが誰で何であるかを証明してくれる町です。
デトロイトでは、長年にわたって多くの素晴らしい革新とアーキテクチャの改善が起きました。

変化は素晴らしいものですが、過去70年間、同じことが1つあります。それは、世界で最も偉大な音楽都市であるということです。
この街は、多くの偉大な音楽家や伝説を生み出しており、これからもそうあり続けます。
この非常に特別なインタビューで、私は伝説的なデトロイトのロックギタリストであるジムマッカーティと1対1で話し、彼の人生とキャリアについて深く理解できるものとなりました。
ジムは、The Buddy Miles Express、Jimi Hendrix、Mitch Ryder、The Detroit Wheels、Cactus、The Rocketsなどのバンドとして活動しプロのミュージシャンとして世界中で成功を収めており、多くのギタリストから影響を受けているとされています。
その中にはEddie Van Halen、Bruce Springsteen、TedNugentも含みます。

-本編-
ドリュー:この度はインタビューに時間を割いていただき、心からの感謝を捧げることから始めたいと思います。 今夜の調子はいかがでしょうか。

ジム:私は悪くないです、お元気ですか?


ドリュー:ええ、私は安全と健康を維持するために日々生活しているので。 私は生きることに幸せを感じています。

ジム:ええ、ただ普段通り物事をこなし、日常を送っている。そうだろうよ?

ドリュー:たしかにそうでしょうね。 このコロナの間に行っていることについて教えてください。

ジム:まあ、コロナで家にこもる生活が続いていますが、私にとってそれほど大きな変化ではない。
そもそも私は毎晩クラブに出かけている人ではなかったのでね。
私はCDアルバムを作っているところですが、基本的には決まったルーチンをこなしている。
だから一般の人と比べると日常とあまり変わらない生活を送っているとおもう。
私にとって悪夢だった昨年と比べると、私はここ数年はベストコンデションな状態にはある。健康的なのでね。

ドリュー:それを聞けてとても嬉しいです! CDを作っているとおっしゃいましたが、それについてもう少し教えてください。

ジム:私が過去に作成していた曲を堀かえし、CDを作っている。 たとえば、私のバンドのThe CactusのCD、私のソロCDがあります。
コロナ間の多くのミュージシャンはこのパンデミックのために音楽活動を行っていない。少なくとも私の知っている全米の友人たちはね。
そうした彼らはCDを買う時間ができる。そして彼らは私のCDを買ってくれるだろうし、今のCDはそのために作っている。

ドリュー:ありがとうございます。次にあなたが設立した最初のバンド、ミッチ・ライダーとデトロイト・ホイールズについて少し話をしたいと思います。

ジム:ええ、それが私が組んだ初めてのバンドだ。

ドリュー:私が間違っていなければ、あなた方はそのバンドで3枚のアルバムを作りましたね?

ジム:ええ、3枚のアルバムと3枚のシングルがありました。

ドリュー:デトロイトホイールズで始めたとき、あなたは何歳でしたか?

ジム:20歳だね。

ドリュー:そして、あなたがそのグループでジョニー・ビー・バダンジェクと一緒に活動したことについて伺いたいです。

ジム:ジョンは16歳でした。

ドリュー:バンドが結成される前にあなたとジョン(ジョニー・ビー)はお互いを知っていました。彼との友情について伺っても?

ジム:ああ、たしか当時ジョン(ジョニー・ビー)は私から2階下に住んでいた。 私たちは30年間、同じ場所に住んでいた。
彼と会うきっかけとなったのは私と彼のおじいちゃん同士が知り合いだったからね。
そして当時私は15歳のときにドラムを初めてたから、ジョンにドラムを教え始めたんだ。
そうやってジョンはドラムをたたき、私はギターを弾く流れになり、自然とバンドができてきた。
かつてウッドワードアベニューのヴィレッジと呼ばれる場所があり、私たちはそこのクラブハウスでよく演奏していた。
当時はベースのアールエリオット(Earl Elliott)と一緒にやっていた。
それである夜、ビル・リーバイス(BIll Levise)という男がやってきて、自然と馬が合った。
そうしてBilly Lee&TheRivierasというバンドを結成した。
最終的にそのバンドはニューヨークに行き着き、ミッチライダー&デトロイトホイールズ(Mitoch Rider& The Detroit Wheels)になった。

ドリュー:歴史的な話ですね!それ以来、あなたとジョニービーは一緒に演奏していますか?

ジム:その直後ではないけれどもジョニービーとはちょくちょくやったね。 10年間 Rocketsも一緒にやったし。

ドリュー:Rocketsについて少し伺いたいです。

ジム: Rocketsは、私がThe Cactusのメンバーとして活動し終わり、デトロイトに戻った後に組んだバンドだ。
それからデトロイトホイールズはロサンゼルスの郊外でバディマイルズと提携し、彼の最初の2枚のアルバムで録音した。
私がデトロイトに戻ったとき、ジョンと私は何かをまとめることについて話し始めました。 それがRocketsについてなんだ。

ドリュー:Rocketsは私のお気に入りのバンドの1つです。 皆さんは、5つのスタジオアルバムと、Royal Oak MusicTheatreで録音されたライブアルバムを録音しましたよね?

ジム:ああ、その通り。 Rocketsは素晴らしいバンドだがThe Romantics(ジョニービーが加入していた70's後半-のデトロイトのバンド)のように大ヒットしたシングルはなかった。

ドリュー: Rocketsで行ったお気に入りのショーは何でしたか?

ジム:2回あるな。Pine Knob(ミシガン州)でやった時チケットは完売した。
それはTurnUp theRadioアルバムが「OhWell」でリリースされていたときでバンドがこれまでに作った一番有名なアルバムだ。
その時バンドは熱くて、その年にPine Knobでやった。Pine Knobでは何回かやったんだけど毎回大勢の人が来てくれたね。
だがそれから共にバンドの調子は南下し始めた。
ゴールドリングのチャンスはそれほど多くありません。
5枚のアルバムの後でヒットレコードを思い付かなくて腹が立ち、結局そのバンドはチャンスは何回もあったがGold Ring(全米で有名になる)を掴めなかった。

ドリュー:そうだったのですね。私はRocketsの大ファンですよ。他のたくさんのデトロイトの音楽ファンと同じように。
私はすべてのアルバムを持っていて、それらはすべてヒットだと思います。

ジム:まあ、それは確かにデトロイトのバンドでデトロイトでの話だとは思う。
デトロイトでは有名なバンドだったが、デトロイトの外(他の州)では小さい、そこら辺の道で歌っているようなバンドのような存在に過ぎない。

ドリュー:私が最も重要だと思うのは、今日まで、Rocketsはまだデトロイトで歓迎されていますよ

ジム:まあ、それはたしかに素晴らしいバンドではある。 ジョニービーはそのバンドでほとんどの曲を書いた。

ドリュー:あなたもそのバンドのために素晴らしい曲をいくつか書きましたね。
Love Me Once AgainとRamonaは、 Rocketsの最高の曲の2つです。

ジム:ありがとう、Turn Up TheRadioのアルバムはバンドがこれまでに作った中で最高のものだ。
ジョニーサレン(Johnny Sallen)はジョージアでジョージア州でプロデュースしてくれた。

ドリュー:少し話題を変えて、あなたの息子のディラン・マッカーティ(Dylan McCarty)はドラマーです。彼が音楽活動していることにどうお考えで?

ジム:彼は私のバンドのミステリートレイン(Mystery Train)でドラムをやってる。

ドリュー:息子と一緒にステージで音楽を演奏するのはどんな気分ですか? 特別で誇り高い気持ちでしょうかね?

ジム:そうそう、それは素晴らしいことだ。 とても素敵なことだ。そのようなことが起こるほど幸運な人はほとんどいない。
めちゃくちゃ楽しいことではある。ただこの読んでいる人含めて多くの人に伝えておきたいのだが、彼(息子)がバンドに加入なければ彼は私のバンドにはいなかっただろう。
彼はシンプルに私の息子だからという理由だけでそこにいるのではなく、彼はとても良いドラマーだから私のバンドにいる。

ドリュー:たしかにおっしゃるとおりです。私はあなたのバンドを何度も見ました、そして彼は私が今まで見た中で最高のライブドラマーの一人です。

ジム:うん、彼はドラムができる。

ドリュー:多くのミュージシャンがあなたからインスピレーションを受けたと語っているのですが、それはあなたにとってどう感じますか?

ジム:それは本当にうれしいことだ。そうおっしゃってくれて私の音楽を聴いてくれる人にいつも感謝している。
何年にもわたって、The Cactusはほとんどのギターファンに影響を与えたように思えたバンドだ。
まあ、そのバンドはただのパワートリオに過ぎないが...ただギター、ベース、そしてドラムがいただけだ。
そしてカーマイン・アピス(ハードロックドラムのパイオニアの一人)は、私がこれまでに生きて見てきたドラマーで最も偉大な人の1人だ。
何年にもわたって多くのギタリストとかかわってきたんだけど、Eddie VanHalenもその一人で、彼は私にThe Cactusをどれだけ楽しんだか話してくれた。

ドリュー:私が間違っていなければ、ブルース・スプリングスティーンもそれに含まれているのでは?

ジム:それについては昔話がある。 私のギターの1つは、クリーブランドのロックの殿堂(Rock&Roll Hall Of Fame)で、ミッチライダーとデトロイトホイールズの時代の展示がされている。
また、ジョニービーのステージで使用された服も展示されているんだ。
約10年前のある日、ロックの殿堂にいた友人が電話をかけてきて、
「今ある男性と殿堂にきている。その男性があなたのギターが展示されているところに来て、
”マッカーティ!あなたは素晴らしいギタリストだ!一度私のバンドがThe Cactusと一緒に東海岸のどこかで演奏したとき、他と一味違うギターの音が聴こえた。
そのバンド(The Cactus)はギタリストを探していると聞いたので私はマッカーティに近づき、電話番号を渡した。
そして私はマッカーティに"もし興味がございましたら私をバンドで雇ってくれませんか?"という出来事があった」
ということを聞いてね。
その後私はこの男は誰であるか聞きました。そしたら 電話をかけてくれた友人がブルース・スプリングスティーンだと言った。
だから私はその友人に、”まだ貴方が私のバンドで演奏したいという申し出がまだ有効であること”を彼に伝えて欲しいです。
そして私は彼に週に250ドルを払うことを保証することも! 笑
 
ドリュー:それは歴史的な話ですね!
ロックの殿堂の話についてミッチライダーとデトロイトホイールズについて確認したいことがあるのですが、
ロックの殿堂に入れられる話は来ていましたか?

ジム:具体的には私、またはミッチライダーとデトロイトホイールズについて?

ドリュー:両方ですね。

ジム:いいえ、特にロックの殿堂に入れられる話は来ていません。私はエリッククラプトンではありません。
しかし、ミッチライダーとデトロイトホイールズです。 ロックの殿堂に入れられるべきだったはずです。
私たち全員が知っているように、それにはややこしい話があります。
ミッチは何年にもわたって、あちこちでそういうキーパーソンを自分から疎外していたのではないかと思います。
事実であるかはよくわかりませんがね。
ダスティ・スプリングフィールドをロックの殿堂に入れるなら、
ミッチ・ライダーとデトロイト・ホイールズが入れていないはずはないが…でも事実私たちは入れていない。

ドリュー:デトロイト・ホイールズだけでなく、多くの人があなたをこの長く延期されたロックの殿堂に入れるべきだと思っています。

ジム:それは嬉しいことだが、私が言ったようにそれは何を意味するか。そのこと(入れられること)自体は私には大きな意味を生み出さない。

ドリュー:ジム、ロックンロールでのキャリアについて話しましたが、あなたはブルースも大好きなはず。それについて話していただけませんか。

ジム:特にこの町デトロイトでは、私がロックギタリストであるのと同じくらいブルースギタリストであることで知られているように感じる。
私のソロアルバムLive at Callahans、Volume1とVolume2は、ブルースギタープレーヤーと言える資格をほぼ確立していると思う。

ドリュー:どちらのアルバムもしっかりしていて、力強く、バラエティに富んでいると思います。
次にお話ししたいのは、とても素晴らしい話題で、あなたはジミ/ジミージャムと呼ばれるジミヘンドリックスのアルバム「ナイントゥザユーニバース」で演奏しました。
その経験はどのようなものでしたか?

ジム:私がバディマイルズ(元ヘンドリックスドラマー)と一緒に働いていたとき、ジミはバディとバンドを結成することについてと話しをしに毎回来ていたので、
その度にジミと私はジャムセッションをしていた。
ある時はクラブは午前4時に閉まり、彼はレコードプラントに戻って、太陽が昇るまで演奏しました。
それで、バディと私は彼と遊びに行き、ジャムの1つがナイントゥザユニバースでリリースされました。

ドリュー:ジミ・ヘンドリックスと一緒にギターを弾いているスタジオに立っていたときのことを思い出すのは非現実的でしょう。

ジム:一緒にアルバムを作ったんだけど、ヘンドリックスはバディマイルの2枚目のレコードの半分をプロデュースした。
それは間違いなく、コントロールルームにジミがいるスタジオにいるのは少し目を見張るものがあった。


"お楽しみいただけましたでしょうか。続きはまた次回公開します"翻訳by Shono Mercy
®Detroit Blues Society

2021年2月8日

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