Shono Mercy Museum

(後編)Drew Hillによる元デトロイトウィールズJim MaCcartyインタビュー


(前回コラムの続き)

ジム:そう、僕たちはアルバムを一緒に作り、ヘンドリクスはバディマイルズのセカンドアルバムの半分くらいをプロデュースした。
ジミとスタジオのコントルームルームでギターのオーバーダブをした経験はとても素晴らしい経験だったよ。
ジミヘンドリクスはミッチライダーとデトロイトホイールをよく調べていてね、彼は私たちのことをかなりクールだと言われたよ。

ドリュー:それはすごい!私はエディー・マネーととても仲良しだったし、彼はいつもミッチ・ライダーとデトロイト・ホイールズへの愛を語り合っていましたよ。

ジム:ええ、エディーは素晴らしい人だった。His Rockets(エディーのバンド)は本当に素晴らしかった、、、
当時、たくさんのショーを一緒にやってね、私たちが彼を失ったのはとても残念だ。彼は恋人のような存在だったよ。

ドリュー:本当にそう思います。彼がいなくなったのは寂しい。
Rockets時代の話ですが、あなたとエディーマネーとの話で私が好きな話があります。
あなたはエディーと一緒にライブをしたあと、あなたたちはホテルのお酒を飲んでいた時のことで、
エディーは風呂場の水道の蛇口を締めるのを忘れてお酒を飲み続けた。
気が付いたときにはホテルは水浸しになり、マネージャーに怒られたそうですね。

ジム:ああ、覚えているよ!当時私らは風呂場から離れたスペースで飲んでいたからなかなか気が付かなくてね。
まあ、あの時僕らは若かったから、、まあそんなときもあったね。

ドリュー:ジム 、あなたが多くのミュージシャンにインスピレーションを与えたことはたくさん知られていますが、
あなたにインスピレーションを与えたミュージシャンは誰でしたか?

ジム:ああ、インスピレーションとなったミュージシャンはとてもたくさんいたね。選ぶのは難しいですが、もし一人を挙げるとしたらBBキングかな。
しかし、たくさんいて選べないがね。
アルバート・キング、ジミヘンドリックス、もちろん、私は常にヒューバート・サムリンを愛してやまなかった。
まあ、頭のてっぺんから挙げると数えきれないほどいるだろう。
でももし、一人を挙げるならBBキングになるかな。

ドリュー:すごい! 彼と一緒に演奏できたことがありますか?

ジム:ああ、BBキングとは約10年前(2010?)にPine Knob(ミシガン州)で演奏したよ。
BBキングからジョニービー(Johnny Bee)と私にバンドを組まないかと聞かれたのがきっかけなんだ。
The Fabulous Thander Birds, and B.B Kingってバンドだった。
私はBBキングとエルビスプレスリーが写ったポスターをもっていたから、それに彼にサインしてもらったんだ。

ドリュー:それは美しい話ですね、話してくれてありがとうございます。

ジム:ああ、素晴らしいポスターになってね。今でも自宅のリビングに飾ってあるよ。

ドリュー:今あなたが共演したアーティストの話題を話しているところですが、一つ確認したいことがあります。
ジョー・ボナマッサ(Joe Bonamassa)はあなたと一緒に演奏したいと何度か誘った話があるのですが、これは本当ですか?

ジム:ジョーは親愛なる友人で、私は彼はモンスターギタープレーヤーだと思っている。 彼はミュージシャンのHell(超人並)だな。
彼は偉大なボーカリルと多大なる雰囲気に包まれたミュージシャンだ。
そして彼は恋人のような存在であり、僕らはお互いに敬意を示していた。
フォックスシアターで初めて彼に会いに行ったとき、私のソロの新譜、"Live At Callahan"の1枚目を贈ったんだ。
翌年、ジョーが町に戻ったとき、彼は私に"あなたのCDと私のバンドThe Cactusについて興味がある、もし良かったら会って演奏しないか"と電話をくれてね。
もちろん私はそれにノッたよ。
私はいつも彼の演奏技術を探っていた。なぜなら彼と一緒に演奏するのは難しくてさ。
まあ、ジョーとの演奏でノリが合わない奴は何人かいたらしいけど私もそうかもしれない。
だが、ジョーは演奏をうまくやる方法、そしてそうするべき時はいつなのかは知っていた。
あと彼の演奏には魂が宿っていた。メタル音楽のギタリストがやるのと彼がやるのとではまるで違う。
去年(2019年)私と彼は落ち合い、久しぶりに一緒に演奏したよ。演奏はお互いうまくいって私は心を奪われたよ。
まあ、とても楽しかった。


ドリュー:それはとてもクールな瞬間であり、とても楽しかったに違いないですね。
彼がこの町に来てライブをやるときはチケットを買い、見に行きますよ!

ジム:そうするといい。彼の演奏を見るだけで彼が彼が何者なのか、モンスターな演者であること、キラーな(素晴らしい)バンドを持っていることがよくわかるから。
あ、あとウォーレン・ヘインズ(Warren Haynes)も私の演奏仲間の一人だ。
※ウォーレン・ヘインズ=オールマンブラザーズバンド、Jam Bandのギタリスト

ドリュー:私が間違ってなければ、あなたもテッド・ニュージェントの仲間であり、彼にアンプを売ったことさえあります。

ジム:確かに私はデトロイトホイールで使用した私の古い64フェンダーツインを彼に売ったよ。
クローゼットの中にしまってあったもので、しばらく使っていなかったものなんだ。
だから売りに出したところ、すぐにテッドから電話があったんだ。"私はそのアンプを所持しなければいけないいんだ"と私に言ってきてね。
テッド・ニュージェントほどミッチ・ライダーとデトロイト・ホイールズの大ファンはおそらくいないと思う。
彼は何年にもわたって私に対して熱い気持ちを注いでくれたんだ。
アンプを欲しいって人は何人も現れたけど、結局テッドに売ったよ。

ドリュー:それは本当に貴重なアンプだし、面白い話ですね。
このインタビューで私たちはとても多くのミュージシャンについて話しました。
あなたが過去一緒に仕事をしたミュージシャンの中で、気に入ったミュージシャンはいましたか?

ジム:一緒に仕事をしたかあ、色んな人とやってきたから正直すべては覚えてはいないな。
ただ私は幸運にも、最も偉大な3人のドラマーと仕事をすることができました。
ジョニービー、バディマイルズ、カーマインアピス。

ドリュー:カーマインは間違いなく最高の一人です。

ジム:ああ、いうなれば彼は怪物です。 彼はこの世でハードロックドラムと呼ぶものを発明した人の一人だ。
素晴らしいドラマーであるだけでなく、彼はイノベーターでもあります。 そして彼はまだ現役でドラムをたたいてる。

ドリュー:話は変わりますがデトロイトでプレイした会場の中で、どれがお気に入りでしたか? あなたの好きな会場はデトロイト以外ですか?

ジム:デトロイトはパインノブだろうね。
そこのライブ会場はいつも満員で、バンドとしての音とかが全てまとまっていたんだ。
パインノブはデトロイトだと一番で、それは今後も変わらないと思う。
全米の話になると、ロサンゼルスのフォーラムかな。そこは素敵な場所だと思う。
あとはマディソンスクエアガーデン、フィルモアイースト&ウェスト、ビルグラハムの場所はいつも演奏していて気持ちよかった。

ドリュー:ビル・グラハムは音楽史上最も偉大な監督の一人でした。

ジム:ああ、私は彼と同じ飛行機になったことがあってね。私たちはThe Cactusの時代についての話をした。

ドリュー:具体的にどんな話をしましたか?

ジム:ああ、覚えてないよ(笑)

ドリュー:あなたが組んだバンドの中で、どれがお気に入りでしたか?The Cactusと言っても大丈夫ですか?

ジム:演奏がうまくいったときの状態のバンドは、いつもこのバンドはよかったと思う。
だけど、ロケッツでも同じで、演奏的にはほとんど上手くいっていたよ。
ロケッツだと、2人のギタリストとキーボードがいて大きなバンドだったね。ほかにもベース、ドラムも歌手がいるが。

ドリュー:The Cactusの再結成について話していただけますか?

ジム:2001年に再結成のCDを作った。
CDでハープを演奏したThe Cactusの大ファンであるランディ・プラットから、
カーマインとティム・ボガート(ヴァニラ・ファッジ)が来月ニューヨークに来ると聞いた。
ランディは"あんたと彼らが一緒に演奏すると、何が起こるか、どういう風になるか興味はないか?"と聞かれてね。
つまりそこから再結成の話が出てきたわけだ。
そして私は"もうそんなことはしない"と彼に何度も言った。
すでに自分のバンドのミステリートレインがあるし、デトロイトのブルースバンドの一員として演奏していたからね。
ただ、彼は聞く耳を持たなくて、断れないオファーを出してきたから、私は再結成を承諾した。

それからティム、カーマイン、そして私と一緒にスタジオに集まった。お互いを見て、演奏し始めました。
そしては僕らは再び一緒のバンドとなった。
40分後にこの演奏全体にまとまりがでてきた。 私は彼らと約3日間滞在し、約4曲の録音を仕上げた。

その後私は家に帰り、翌日、ガールフレンドが"テレビをつけて"というメッセージを電話に残しました。
そして、テレビの電源を入れたところ、ツインタワーが倒れるのを見ました。
2001年から2014年頃まで、私は年に1、2回ニューヨークに行き、バニラファッジと一緒に町にいるときはいつでも3、4本のトラックを敷設していました。
2005年までに、14のトラックが敷設され、偉大な歌手であり作詞家でもあるジミー・クーンズが参加しました。
彼の歌詞は私たちが演奏していたバンドや音楽にぴったり合っています。
私たちはジミーを連れてきて、歌詞を書いた。カーマインは約1年間それを温めていて結果としてCDになった。

その後、スウェーデンでレーベルを見つけたのですが、レーベルのオーナーがThe Cactusの大ファンだったので、
The Cactus 5というタイトルのレコードを出しました。
海岸から始めて、ヨーロッパに行って、以前と同じようなことが起こりました。 頭を叩きすぎた。
私はデトロイトに戻り、ジョニービーと私は2010年頃にThe HellDriversというプロジェクトをまとめました。これは基本的にロケットの再結成でした。

デトロイト市内から出てきた史上最高のライブCDの1つと言われてる中にはキャラハンのライブCDがありました。
ただそれはビルボードにランクインしなかったのでそれは残念だ。
今はそのCDの存在を知る人はほとんどいません。
しかし、それはデトロイトから出てくる最高のライブCDの1つです。
当時のバンドはデトロイトのロックンロールの歴史をやっていて、私たちがやっていた曲はすべてクラシックなデトロイトのロックンロールの曲でした。
結果としてキラーなCDになった。

ドリュー:ジム、ありがとうございました。
このインタビューを終わろうと思うのですが、最後にみんなに残したいことはありますか?

ジム:安全で、健康で、ロングライブロックンロール。(Be Safe, Be healthy, and long live Rock and Roll )

以上。

翻訳by Shono Mercy
Detroit Blues Society

2021年3月22日

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